こけら寿司の食文化

高知県では、明治時代の中頃から「こけら寿司」が食べられるようになり、昭和の後半頃から「こけら寿司」の食文化が失われつつあります。
かつては、高知県のどの家庭でも「こけら寿司」を作る木枠があり、祝いごとのある日は、こけら寿司をたたき切る音が村のあちこちから響いてきたそうです。現在ではほとんど家庭で「こけら寿司」を作る食文化は失われつつあります。
高知県の伝統的食文化でもある「こけら寿司」を絶やさいない為にも、後世に継承していきましょう。

人生における大切な節目に、こけら寿司

かつて日本では、男子が15歳になったときに「元服」という成人の儀式が行われました。元服は「初冠」や「烏帽子着」などの別名で呼ばれることもあり、元服では別名に含まれる「冠」や「烏帽子」をかぶりました。
つまり現代では、成人式をはじめとした、人生における大切な節目の数々で「こけら寿司」を食べます。出産はもちろん、初節句や七五三、入学や就職、長寿のお祝いなど、人生において数多く訪れる節目のお祝いでは「こけら寿司」を食べる文化が高知県にはあります。

お祭りに、こけら寿司

高知県には、よさこい祭り、高知城花回廊、龍馬まつり・龍馬月間、土佐のおきゃく、どろんこ祭り、など沢山の祭りがありますが、昔は祭りごとには「こけら寿司」が欠かせない存在でした。
それが、現在では「こけら寿司」を食べる人が減ってきていますが、こけら寿司の文化はまだまだ残っています。
特に、小さな村のお祭りでは、近隣の女性が集まり、祭りの前夜から「こけら寿司」を作ります。
祭りの当日には近隣の祭りの参加者に「こけら寿司」が振る舞われるという文化があります。

結婚・婚礼に、こけら寿司

結婚式はもちろん、結納や披露宴、お見合いなども含まれ、広く「結婚」に関する数々行事で「こけら寿司」が食べられてきました。
今でこそ、結納をなくしたり仲人を立てなかったり、結婚をめぐる「行事」にはさまざまな変化がみられますが、昔は結婚に関する行事では大人数「こけら寿司」を食べる高知県の文化がありました。

葬儀に、こけら寿司

お通夜や葬儀、火葬や法事など、家族や親族、知人や友人など人が集まる際には必ず高知県では「こけら寿司」が食べられてきました。
宗派や信仰している宗教にもよりますが、法事がある宗教では、故人の死後、決まった年数で「葬」の儀式を行う時にも、人が大勢集まる際には必ず高知県では「こけら寿司」が食べられてきました。